徒然w

文系大学生の日々思った事や考えた事の整理

幸せってなんだ

※この記事は自分の日記をコピペしブログ風に改変した雑記になっています。ほぼ推敲されていません。

 

資本主義がどうのこうのと叫ばれる現状、幸せって一体なんなんでしょう。ひと昔前に言われていた、いい大学に入り、いい会社を出て、結婚して子供産んでヨボヨボして、多くの親族に看取られて逝くというのが幸せなんでしょうか。そもそもそれはその当時本当に幸せだったのでしょうか。

 

最近疑問に思います。いや、結構前から思ってましたが、見ないフリしてました。

 

 

現状、幸せというものは普遍的なものではないと思います。価値観の多様化ということが言われて久しいですが、それに対してもかなり今に始まったことなのか、と疑問視しています。

 

インターネットが生まれて各個人の考えや嗜好、経験が顕在化するようになり、確かに色んな考え方があるんだなぁ、こういうことを経験してこう考えた人がいるんだなぁということを思い、考える機会が増えたと思うのですが、それは今に始まったことではないのではないでしょうか。

 

自分は94年生まれで物心がついた時から家にPCが存在したので、インターネットがない以前の時代というのは想像する事ができませんが、インターネットがなくとも様々な経験を擬似的に体験するという事は可能であると思いますし、現状我々がインターネットを通して得る情報(人がどう思ったとか何やったとか)をインターネットがない以前の人々が考えつかないというのもなかなか不思議だと思うのです。

つまりここで言いたい事は以下の事

  • インターネットを通して価値観の多様化が進歩したが、それ以前にも多様な価値観というものは存在したが、顕在化していなかっただけなのではないだろうか。
    • それを調査する方法として
      • 現状の価値観の多様化というものが”いつ頃から”、”どのような経緯”で語られてきたのかという事は知っておいても損はしないと思う。のちに調べる。

 

 

しかし、確かに現状様々な価値観が各々の”正しい価値観”として機能しているように見える。(つまり、ひと昔前ではありえない!と言ってコミュニティから村八分にされていたような行為や言動が「まぁそういう事もあるようね」というレベルの言動になったように見える)ここまで、価値観の多様化の要因がインターネットのみのように語ってきたが、他の要因はないのだろうか?→教育の変化という可能性も考えられる。

 

 

幸せとはおそらく欲が満たされている状態が基本な気がします。おそらく強制的に満足に睡眠や食事をとれていない状態で「あぁ〜俺ってなんて幸せなんだろぅ」と感じる事は超少数派だと思います。しかし人間の欲望というものは際限がありません。一度美味しいものを食べるともっと美味しいものを食べたくなり、良い女性を抱くともっと良い女性を、というのが人間でしょう。そうして欲望を追って行くとどこかでリターンの上昇幅がコストに見合わなくなってくる。さっき食べたものより美味しいものを食べるには結構なお金を積まねばならず、そのお金を恒常的に得るには結構な努力を積まねばならない。そこで、その人にとって丁度いいポイントが幸せと感じる事なのではないでしょうか。

 

 

少し本題とそれますが、もしかするとその丁度良いポイントを行ったり来たりしているのが中流層なのかもしれません。世間での幸せの再生産のレールに乗っかり効率的に幸せを勝ち取り、そこそこの幸せを生み出すシステムを最大限活用している人達。おそらくその人達が新しい幸せを作り出す事はないかもしれませんが、新たに作り出された幸せを広め、またそれを一番に享受する層なのかもしれません。

 

 

私にとっての幸せってなんなんでしょう。