徒然w

文系大学生の日々思った事や考えた事の整理

ちょっと想像するだけで、人とのコミュニケーションや接し方は変わるかもという話

なんとなく気づいた事があるのでメモがてら。

 

 

最近兄にお子様が生まれ、23歳にしておじさんになった。姉も婚約し、来年に式を挙げる事になったらしい。それをきっかけに自分も結婚だとか子供だとかそういう事を考えるようになった。

 

 

自分は何歳くらいに結婚するかなぁ。子供できるかなぁ。あ、俺もパパになるのかもしれないのかぁ。そもそも結婚できるかなぁ。と妄想をめぐらしていた。

 

それで、ふと「あ、そうか。どんな人もみな誰かの子供なのか」という事にふわっと気づいた。ほんと、ふわっと。

 

自分にも親がいる。もちろん。大学に入って一人暮らしするまでは、「親のすごさはうんたらかんたら」みたいな話はすごい嫌いだった。なんか説教くさくて。

それまで、ご飯やら洗濯やらやってくれる事が当然だと思っていたのだが、それら全て自分でやらねばならず「母ちゃん今までありがとう」という気持ちはなんとなく抱いていた。しかし、やってみれば案外できるものなので「こんなもんか」という気持ちもない事はなかった。

 

ただ、ここ一年で就活を経て、社会人になる、だとか仕事をする、という事が身近になり「週5で働きながら子供も育てるってすげぇ。。」という風に素直に親に対して尊敬の念をおぼえた。しかもうちは3人兄弟で全員私立だとか美大だとか、国立に比べたら学費も高いところに奨学金も借りずに通わせてくれたので純粋にありがとう。これから親孝行しまする。という気持ちである。

 

 

それで冒頭の話に戻るのだが、同じ大学に通っている人だとか今まで会ってきた人達、なんなら普段道ですれ違う人とかコンビニの店員さんもみな、そういう風に親に育てられてきたんだなぁ、と思った。

 

すると、なんだか途端に申し訳ない気持ちになってきたのである。

 

 

 

というのも、今まで完全に自分を主人公だと考えて生きてきたからである。うまく説明するのは難しいのだが、まるで自分だけがゲームの主人公でその他の人は村人AとかBとかその他大勢という捉え方をしていた。もちろん身近度によって主要キャラの人とかも当然いるのだが、主人公は私。故に人との接し方や扱いが適当だったなぁと思う。

 

 

親に大事に育てられてきたその人の事を、自分ももっと考えてあげられたらよかったなぁとしみじみ思う。今まで関係性が近かった人とかは特に。

 

 

男友達と話していると、自然とあの子がかわいい、あの子とやりてぇ、というはないちもんめ状態になってしまうのだが、もし自分に娘ができて、そういった視線にさらされると思うと、なんか気持ち悪くてしょうがない。

 

 

満員電車に乗っている時にあからさまに不機嫌そうな顔をしているおっさんを見るとこっちまでなんかイラっとしてしまうが、その人も誰かに育てられたおっさんなのだ。普段なんでも屋さんだと思いがちなコンビニの店員さんとか居酒屋の店員さんも。

 

 

そういう事をちょっと思って、人との関わりかたを改めようとふと思ったとです。

 

 

 

世界が平和になりますように笑

 

映画が身近に感じるこの頃

最近夏休みに入って超ヒマなので1日の14時間くらいを寝て過ごしているのですが、余った残りの時間何しようか、、、という事がよくあります。

 

だいたいヒカキンの動画か弟者の実況を見てだらだら過ごしているのですが、だいたい見尽くしてしまいました。(どんだけ時間を使っているんだ)

 

ほんでひまだなーと思ってネットサーフィンしたりエロ動画をみたりしている事がしばしばなのですが、このままじゃだめだ!もう少し文化的な生活がしたい!と思った時にちょうどいいのがAmazonのプライムビデオだったりするんですな。

 

最近、というか結構前からですが、huluとかNetFlixとかのストリーミング系の動画サービスが流行ってから映画がすごく身近になったなぁと感じます。

 

今まではヒマすぎて散歩してる途中にTSUTAYAに入って「そういえばこの映画みたかったんだー」と思ってレンタルして、みたいな感じだったのですがストリーミング系のサイトにいって、適当に選んでぽちっとすれば再生が始まるのですごく楽チンだなぁと。

 

外行く必要もDVD返しに行く必要もないし月額だからいっぱい観るほどお得だし、昔に比べて映画を観る数が圧倒的に増えたなぁと思います。レンタルしてまで、、という感じの古典作品とかクソくだらなそうなB級映画も割とあるので結構暇つぶしにとってもいい。そういう映画に詳しいほどなんか頭良さそうな感じでるし笑

 

別に頭良さそうに見せたいから観てるわけではないですが(その側面もなきにしもあらずだが)人生が少し豊かになった気がしています。

 

これで別にどうというわけではないですが、夏休みで干からびる寸前のヒマな大学生は色々と観てみる事をおすすめするどん。

大学生という時間

大学では今は夏休みである。

 

大学は2ヶ月も休みをくれる。ありがとう。

 

前期の間はインターンに行っており、週5で8時起きの生活をしていたので大変規則正しい生活を送っていた。もっと寝たい、いつも思っていたけど。

 

だが、いざそのいつでもいつまでも寝れる時間を手に入れてしまうとこんなもんか、という感じである。日々変わり映えのしない退屈な日常である。がんばって働いてた時期は休みが取れたらアレしてコレして、と妄想を膨らませたものだが、とくに今は何もやっていない。日々食ってうんこして寝ている。それ以外はだいたい溜まってたゲームをひたすら消化している。

 

もし、社会人になったらもう一度この生活に戻りたいと思うんだろうか。このいつまでも寝て大してやる事がない時間が愛おしく感じるのだろうか。

 

きっとその時は何か辛い時期なんだろうなぁ。逃げないようにその時を頑張れるようになりたいものである。

 

さて、寝よ。

幸せってなんだ

※この記事は自分の日記をコピペしブログ風に改変した雑記になっています。ほぼ推敲されていません。

 

資本主義がどうのこうのと叫ばれる現状、幸せって一体なんなんでしょう。ひと昔前に言われていた、いい大学に入り、いい会社を出て、結婚して子供産んでヨボヨボして、多くの親族に看取られて逝くというのが幸せなんでしょうか。そもそもそれはその当時本当に幸せだったのでしょうか。

 

最近疑問に思います。いや、結構前から思ってましたが、見ないフリしてました。

 

 

現状、幸せというものは普遍的なものではないと思います。価値観の多様化ということが言われて久しいですが、それに対してもかなり今に始まったことなのか、と疑問視しています。

 

インターネットが生まれて各個人の考えや嗜好、経験が顕在化するようになり、確かに色んな考え方があるんだなぁ、こういうことを経験してこう考えた人がいるんだなぁということを思い、考える機会が増えたと思うのですが、それは今に始まったことではないのではないでしょうか。

 

自分は94年生まれで物心がついた時から家にPCが存在したので、インターネットがない以前の時代というのは想像する事ができませんが、インターネットがなくとも様々な経験を擬似的に体験するという事は可能であると思いますし、現状我々がインターネットを通して得る情報(人がどう思ったとか何やったとか)をインターネットがない以前の人々が考えつかないというのもなかなか不思議だと思うのです。

つまりここで言いたい事は以下の事

  • インターネットを通して価値観の多様化が進歩したが、それ以前にも多様な価値観というものは存在したが、顕在化していなかっただけなのではないだろうか。
    • それを調査する方法として
      • 現状の価値観の多様化というものが”いつ頃から”、”どのような経緯”で語られてきたのかという事は知っておいても損はしないと思う。のちに調べる。

 

 

しかし、確かに現状様々な価値観が各々の”正しい価値観”として機能しているように見える。(つまり、ひと昔前ではありえない!と言ってコミュニティから村八分にされていたような行為や言動が「まぁそういう事もあるようね」というレベルの言動になったように見える)ここまで、価値観の多様化の要因がインターネットのみのように語ってきたが、他の要因はないのだろうか?→教育の変化という可能性も考えられる。

 

 

幸せとはおそらく欲が満たされている状態が基本な気がします。おそらく強制的に満足に睡眠や食事をとれていない状態で「あぁ〜俺ってなんて幸せなんだろぅ」と感じる事は超少数派だと思います。しかし人間の欲望というものは際限がありません。一度美味しいものを食べるともっと美味しいものを食べたくなり、良い女性を抱くともっと良い女性を、というのが人間でしょう。そうして欲望を追って行くとどこかでリターンの上昇幅がコストに見合わなくなってくる。さっき食べたものより美味しいものを食べるには結構なお金を積まねばならず、そのお金を恒常的に得るには結構な努力を積まねばならない。そこで、その人にとって丁度いいポイントが幸せと感じる事なのではないでしょうか。

 

 

少し本題とそれますが、もしかするとその丁度良いポイントを行ったり来たりしているのが中流層なのかもしれません。世間での幸せの再生産のレールに乗っかり効率的に幸せを勝ち取り、そこそこの幸せを生み出すシステムを最大限活用している人達。おそらくその人達が新しい幸せを作り出す事はないかもしれませんが、新たに作り出された幸せを広め、またそれを一番に享受する層なのかもしれません。

 

 

私にとっての幸せってなんなんでしょう。

 

 

チーズアーモンドがんますぎる

みなさんはチーズアーモンドというお菓子をご存知だろうか。500円玉大のせんべいにチーズとアーモンドが乗ったお菓子である。

 

こんなん

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たぶんイベントやら、家にあったやらで一度は見た事があるお菓子だと思う。

 

昔僕の家では、お菓子入れにある率が大変高かったのだが、あまり手をつけなかった事を覚えている。

お菓子入れに入っていてもあまり嬉しくないランキング上位のお菓子だった。

 

小さい頃はチーズのあの独特のくさみというかあのクセが好きになれなかったのだ。これを酒のあてに作業の様に口に放り込む父親を見て信じられんという気持ちで見ていたのを覚えている。

 

 

だが今は違う。

 

 

恐ろしくハマっている。

 

 

 

 

少し前にバイト先にあったお客さん用のお菓子を発見し、あまりの空腹だったのでこれでもいいか、とチーズアーモンドを開けた。昔好きになれなかったあのチーズのなんとも言えない香りが鼻をついたが、不思議といやな気持ちにはならなかった。

 

そのままチーズアーモンドを口に運ぶ。

 

 

 

 

 

 

んま〜い!!

 

 

 

 

んまいのである。まじでんまい。

 

 

一つつまんだら、止まらない止まらない。その時の空腹も合間って本当に止まらない。お客さん用であるという事も忘れて食い続けた。

 

せんべいは普通の醤油っぽい味なんだが、チーズのクセというかコクというか、独特の味の深みを出している。そんでアーモンドの食感がまたいいアクセントになっていて無限に食べられる。飽きない。

 

そして家帰ってAmazonで箱買いした。早く届いて欲しい。チーズアーモンドを町中に配って歩きたい。チーズアーモンド検定があるならとりたい。ないなら作りたい。

 

あまりにんますぎたのでチーズアーモンドの歴史について調べた。

  

チーズアーモンドを作っている会社は雪の宿などで有名な三幸製菓である。

チーズアーモンドは1985年に生まれた。紹介文に「時代の先を行く斬新でおしゃれなおせんべい、チーズアーモンド登場!」と書いてある。

 

紹介文のテンションが少しきになるが、バブル真っ只中の日本でこのおせんべいはバカ売れしたに違いない。

 

その後、いくばくかのリニューアルを経て、1999年にわさび味とチョコアーモンドを世に出した。世紀末に世界が滅びると世が騒いでいる間もぶれずに新商品で攻める三幸製菓の姿勢は評価されるべきだろう。チョコアーモンドを見た時は目を疑ったが、常識にとらわれない発想もチーズアーモンドを生み出した企業だからこそと言える。

 

そして2000年に入り、現在馴染みのあるパッケージに変わり、キャラメル味、カレー味を出した。

 

カレー味は口にした事があるが、ここではノーコメントである。普通の味にはかなわないなと感じた。

 

ちなみに現在チーズアーモンドクッションキャンペーンを実施している。発見した時、どういう趣旨のキャンペーンだよ。。と思ったが、欲しい。めちゃくちゃ欲しい。ツイッターfacebookアカウントを連携してツイートかシェアすると当たるかもしれないらしい。僕はやってないが。

 

興味があればやってみる価値はある。プレミアクッションが当たるかもしれない。

monipla.com

 

 

罪深きうまさである。三幸製菓万歳。

 

 

 

では、今日はこの辺で。

 

 

viva チーズアーモンド

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出典

三幸製菓HPhttps://www.sanko-seika.co.jp/